虚しい人生にサヨナラ 僕の一生が「空気」だったで終わっていいはずがない

頑張っても虚しいと感じてしまう若者の声

こんにちは、ガオンです。

東京オリンピックを前に、今は就活生にとっては、学生優位な時期です。

 ところが、ある大学生からこのような相談を受けました。「大学でやりたいことを見つけられるだろうと思ってたけど、なかなか見つけられず、最近では授業にも出る気がなくなってきてしまって……。
 親には悪いし、まだまだ大学卒という肩書が大事なのは分かるので大学には通っているんですが、毎日がとても憂鬱なんです」

自分が頑張っても意味がないと感じるというのです。

皆さんも、頑張らねばならないのは分かるが頑張れないと思う時はないでしょうか?

こんな声も聞きます。

「運動部って練習きついし、部活入りたくない」(小学生)
「苦手な勉強に打ち込めない……なんの意味あるの?」(高校生)
「最初は楽しかったバイトだけど、最近辛いので辞めたい」(大学生)

厳しい時代を生き抜いてきた大人の方は

「最近の若いもんは軟弱になった」

と嘆かれるかもしれません。

でも彼らの本心は

「苦労が多いことが嫌なのではなく、
 頑張っても報われないと思うことが耐えられない」

というところにあるのかもしれません。

虚しい毎日と感じる訳

では、頑張っても報われず、毎日が虚しいと感じてしまうのはなぜでしょうか?

もう少し整理してみたいと思います。

まず、私たちの人生の時間は、有限です。

私達は限られた貴重な時間を切り売りして、お金や経験などと交換しています。
交換できたものによって、感じられる時間の意味も変わってきます。

「これから1ヶ月夏休み」となると明るく感じますが、過ぎ去った夏休みはどうでしょうか。

学びが多く成長できた人はみのりの多い一カ月だったと感じますが、バイトに明け暮れその日その日の忙しさに追われてしまった人は「空気」のような「あっという間の1ヶ月だった」と後悔するでしょう。

大学4年間も、始まる時にはどんな大学生活になるかとワクワクしますが、過ぎ去ってしまうと、なんとなく4年間過ぎてしまったと感じて「就活終わるともう卒業……あっという間でした」というため息をついています。

単に「時間」という言葉を使うと少し軽く感じられますが、実は「時間」は、思っている以上に重要です。

なぜなら、私たちの命は、イコール時間ともいえるからです。

80年の命ならば、80年という時間の積み重ね。

旅行をするためにアルバイトをした学生は、働いた時間だけ、その命を〝すり減らした〟のです。私たちは命を切り売りして、欲しいものを手に入れるのだといえましょう。

この貴重な時間を、あとになってどうでもいいと感じてしまうものと交換するから、人生に虚しさを感じてしまうのです。

私の命、いくらなら延ばす? 虚しい人生を象徴する結果

日本経済新聞社が実施した「医療と健康に関する意識調査」の中の設問の1つに、こういうものがありました。

「あなたの余命はあと1年です。ただし、XX円払えば健康な状態でもう1年だけ生存することができます」――
仮に医師からそう告げられたら「1年延長に」いくらまで支払いますか。あなたの答えは・・・

ちなみにあなたはいくらなら釣り合うと思うでしょうか?

「1年延長に」いくらまで支払うか、結果は以下のとおりだったそうです。

払わない32.8%
100万円未満24.3%
100万―500万未満27.2%
500万―1000万未満9.5%
1000万―5000万未満3.6%
5000万―1億円未満0.4%
1億円以上0.1%
無回答2.1%

(日本経済新聞2009年1月4日 参照:ロハス・メディカルブログ

払わないをあわせると、百万円以下で57%と過半数を超える。

大雑把にいって私の1年の時間は軽自動車1台分にしかならないと感じている人が半分いるということです。

年収100万円なら絶望するのに、1年の命に100万円の価値も感じられていない実態が浮き彫りになっています。

これが豊かな国・日本の悲しい現実です。

自分が生きていたって意味なんてない。そんなむなしさを深めている子供たちは、

「忘れ物をしたから」
「運動会があるから」
「いじめっこにあいたくないから」

と、信じられない理由で命を捨てています。

もっと自分を大切にしろよといっても

「長生きしてもいいことないじゃん」

「なんで生きなきゃいけないのかな。
 サッサと生きて、サッサと死にたいわー」

と言って聞きません。

便利な世の中にはなりましたが、生きてる意味を感じられない原因はどこにあるのでしょう。

それは「生きる目的」がわからない所にあるのだと、アメリカの著名な心理学者、チクセントミハイはこう書いています。

「生きる目的」がわからないから、どれだけ利便と娯楽に囲まれても、
心からの充実が得られない

ではいったい何に命を使えば、私の一生は他に代わりが効かない、かけがえのないものだったと思えるのでしょう?

フランスの哲学者・ブレイズパスカルは、代表作『パンセ』に

「あと1週間の命としても果たすべきこと。
 それこそが、全生涯かけてなすべきことである」

と述べました。

もしみなさんが、医師から、「あと1週間の命」と宣告されたら、どんな気持ちになるでしょうか。
今までと同じような生活を送るでしょうか?

▼「本当にやりたいことをしたい」

▼「本当に会いたい人と会いたい」

▼「本当に話したいことを話したい」

▼「本当に行きたい所へ行きたい」

▼「本当に見たいものを見たい」

あと1週間の命となったら、今よりずっと、真剣に吟味するでしょう。

振り返って今までの生活は、ニセものだったと感じられるのではないでしょうか。

生きてく時には仕方ない、と会いたくもない人と顔を合わせ、つまらぬ会話にうなずいて、みんなと歩調を合わせて行きたくない所に行き、取り残されたくないから見たくもないものを見る。

本当の意味で自分の人生を「生きてはいなかった……」
だから「さっさと生きてさっさと死にたい」とさえ思っていた。

あと1週間の命となったらその心は一変します。

限り有る命だとしても、それでも生きようとあがくのは何を果たすためか。
それを知って、残りの命の火を、その大切なことに燃やし尽くさねば、死んでも死にきれないとさえ思います。

虚しい人生にサヨナラしよう 100年生きるより素晴らしい1日とは

では全生命を燃やし尽くして悔いなしといえる目的とはなにか。

その目的が分かった時、つまらない、むなしい日々が終わり、1日1日が黄金の日々となるでしょう。

人生の目的を知らずに100年生きるより
人生の目的を知って1日生きる方がはるかに素晴らしい(ブッダ)

人生の目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。

自分のやっていることに意味や意義を感じられて報われる人生のゴールに向かって大切な一歩を歩んでいると”生きる力”が湧いてくるのです。

ではその目的とは何か?

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