対人関係の悩みが解消できる正しい指針“肯定的にあきらめる”とは?|アドラー心理学と仏教

Featured Video Play Icon

(↑記事の内容を動画でもご紹介しています)

こんにちは。オンライン仏教アカデミーの南です。

自分の対人関係について、あなたはどう感じているでしょうか?

上司や同僚との関係や、パートナーとの関係、家族との関係など、私達は対人関係を避けて生きることはできません。

これらの人に支えてられて私達は生きているので、もちろん、大いに感謝の心を持ち、感謝を伝えていくべきなのですが、
「うまくいかずに煩わしいな、面倒だなんで自分ばかり、こんなつらい思いをしないといけないのか」
と、どうしても思うこともあるでしょう。

対人関係の煩わしさや苦しみを解消し、対人関係からむしろ喜びを得るにはどうすればいいのでしょうか。

そこで、対人関係の悩み解消の指針ととして、アドラー心理学について書かれたベストセラー『嫌われる勇気』の中で紹介されている、「肯定的にあきらめる」ということについて、お話しします。

「肯定的なあきらめ」とは?

肯定的なあきらめについて『嫌われる勇気』では

「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めること

といわれています。

「あきらめる」と聞くと、見ないようにすることや気にしないようにすることかな、と思われるかもしれません。

しかし「肯定的にあきらめる」はそのようなことではありません。

「肯定的にあきらめる」は「変えられるものと、変えられないものを見極め、その上で、変えられるものに力を集中させる」ことなのですね。

変えられないものにこだわっていても落ち込むだけであり、
変えられないものを変えようとすれば徒労に終わってしまいます。

そうではなく、変えられるものと変えられないものとに分け、変えられるものを変える努力をしていく。
そうすれば、状況の改善につながり、自信もつけることができるのです。

うまくいかない上司との関係を改善する指針

たとえば、上司との関係がうまくいかず、悩んでいるとします。

このときの変えられないものは何でしょうか?

上司との関係で変えられないもの

上司そのものを変えるのはまずできないでしょうし、
上司の性格や価値観、仕事のやり方などを変えるのも難しいでしょう。

上司に対して面と向かって、
「あなたは部下から信頼されていないので、もっと人格を磨いたほうがいいですよ」
「あなたの仕事のやり方は非効率です。それでも上司ですか」
なんてことは、とても言えないですよね。

明日には自分の席がなくなっているかもしれません。

よほど器の大きい、寛大な上司なら1つの意見として聞き入れてくれるかもしれませんが、そのような上司に対してはそもそも不満は持っていないでしょう。

もし、上司の性格や価値観、仕事のやり方などの変えられないものにこだわり、
「この上司でなかったらどんなにいいか…」
「上司がもっと考え方を柔軟にしてくれたら楽なのにな」
と思っているだけでは、状況は変わらないですね。

むしろそんな不平不満が言動に現れれば、上司との関係が悪くなりかねません。

上司との関係で変えられるもの

そんなときは“変えられるもの”を見極め、そこに力を集中すべきです

たとえば、上司への接し方を変えることはできますし、上司の性格や価値観を変えることはできなくても
「差し出がましいと思われるかもしれませんが、私はこのように感じています」
と、自分の意見を述べることはできますね。

あるいは上司のさらに上の上司に相談し、適切なアドバイスを受けることもできるでしょう。

このように変えられることに力を入れることで、状況は着実によくなっていきますし、行動できたこと自体が自信につながりますね

言い訳をしたり、人のせいにしたりするなど、変えられないことを嘆くのではなく、変えられるものにぜひ注目をしてみてください。

まず紙とペンを取り出し、日々ストレスになっていること、うまくいっていないことを書き出してみる、
そして、その中で変えられることと変えられないことのリストアップをやってみください。

「自分は今の状況を変えることができる」というコントロール感覚が得られて、意欲が高まるはずです

「あきらめる」の本来の意味とは?語源は、仏教で説かれる「諦観」

この「肯定的なあきらめ」について、『嫌われる勇気』には、青年と哲人との間で、
さらにこのようなやり取りがあります。

青年:
「肯定的なあきらめ」には、どこかペシミスティックな、悲観的な響きがありますね。
こんなにも長い議論を重ねてきた結果、出てきた言葉が「あきらめ」だなんて、あまりに寂しすぎます。

哲人:
そうでしょうか? あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味があります。
物事の真理をしっかり見定めること、それが「あきらめ」なのです。
悲観的でもなんでもないでしょう。

哲人が「あきらめ」は元来「明らかに見る」という意味がある、と語っている通り、
あきらめるは元々、「物事の真理を明らかに観る」を意味する、「諦観(たいかん)」という仏教の言葉が語源といわれています。

諦とは「真理」、観はあきらかに「観る」ということであり、
真理を明らかに観る」ことが諦観、それが今日、「あきらめる」という言葉として使われています。

ただ、言葉が変わるだけならよかったのですが、「原因を見定めることなく、仕方がないと断念する」のように、正反対の意味として使われているのは残念ですね。

諦観の本来の意味の通り、私達の苦しみ、悩みの原因とは何かがはっきりと教えられ、かつその解決法もまた教えられているのが仏教です。

仏教で説かれる苦しみ、悩みの明らかな原因、そしてその解消法も、ぜひ知っていただきたいと思います。

少しでも関心を持たれた方は、仏教について詳しく解説しているほかの動画もぜひ見てみてください。

 

参考にした書籍:

『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎著、ダイヤモンド社)

(終)