永遠の青年
仏教で、最も重視されるのが「心の向き」(^_^)。
こんな話を聞いたことがあります。
20世紀初頭、斜陽の大英帝国と、
その英国に代わって世界の覇権を手中にせんとする
アメリカと、当時の両国の様子を象徴するような
出来事がありました。
あるアフリカの小国に、イギリスの靴屋が商売に赴きました。
ところが靴を売ろうにも、その国の住人は、
靴を履くという習慣がない。
早速商人は、本国に電報を打ちました。
「この国はだめです。
なぜなら、靴を知らないのですから
売れるはずがありません。」
その後、同じ国に
アメリカの靴屋が出向きました。
到着1時間後、本国に電報を打つ。
「やりました!全部売れます!
なぜなら、彼ら、誰一人、靴を履いてないのですから。」
同じ状況を見ても、心の違いで、180度、
運命は変わってきます。
仏教を学び、何歳になっても、逞しく、
明るく強く活躍されている方々が私の周りに多数あります。
本当に元気一杯(^_^)凄いです。
つくづく、「心の向き」が違うのだなぁ、
と思い知らされるばかり(^_^)
サミエル・ウルマンの『青春』の詩の一部を紹介しましょう。
『青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
(中略)
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
(中略)
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。』
この詩は、敗戦後の多くの日本人に、
再生の勇気を与えました。
「未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人」
と言われます。
『未来』とは、「夢」であり、「理想」のこと。
老人は挑戦しない。
「あのころは良かった」が口癖に。
「最近の若い者は・・・。昔はこんなことはなかった。」
「昔はこうだった。いつから日本はこんなふうに・・」
こんな台詞が自分、多くなってきたな、と思ったら、
老いてきた証と思ってよいかも(^_^;)
若者は未来を語り、老人は過去を語る。
若者は将来に夢を抱き、挫折しても、また立ち上がる。
そして果敢に挑戦を繰り返します。
魂の中に抱く、夢や理想の質や量によって、
青年であるか、老人か、分かれる。
年齢によって決まるのではありません。
たとえ80歳、90歳であっても、
素晴らしい未来に燃える人は青年。
そんな「永遠の青年」こそ、世界の光。
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