聞かれて困る質問に解答を!「私が生まれた意味ってなんなの?」

ある中学生の怒り「生まれた意味がわかりません」

こんにちは、ガオンです。

「自分は生まれてきたくなかったのになぜ?」と悩んだこと、皆さんにはありませんか?

唐突ですが、ある中学生の投稿をみてハッとしました。

私って親の都合で生まれたんですよね?
生まれたくなかったです。
子どもって、みんな「親の都合で生まれてきた」んですよね?だって親が勝手に子どもほしいね~なんて言ってつくって生んだんです。なのに両親は勝手に離婚ですよw勝手に生んで別れて。意味がわかりません。
皆から馬鹿にされてもう生きていたくないです。ブスで何の取り柄もない私が生きている意味ってありますか?親の都合で生まれてきたのに「痛い思いをして産んだ」って何様ですか?って思いません?いやつくったんだから当たり前でしょって思います。
なのに、「親からもらった体なんだから大切にしなさい。」とか大人は言いますよね。先生にも言われました。自傷行為や、一度未遂をしたのですが、どうして傷つけてはいけないんですか?「親からもらった」なんてくださいと言った覚えはありません。
皆さんはどう思いますか?

(出典:キッズなんでも相談

「幸せになれないのに、生まれた意味はあるの?」

と必死に訴える声は鋭く胸に刺さります。

人間の奥底には生きる意味を知りたがる願望が鳴り響いている

今、何かと話題の沢尻エリカさんですが、かつて余命モノドラマの代表作である「1リットルの涙」(2005年、フジテレビ系)でヒロイン役を演じていました。

その一幕で「生まれてきた意味」を問いかける場面があります。診察室にて

「診察の前に、今日は話したいことがあるんだ。君の病気について、今まで詳しい説明は避けてきたけど・・・・」

「脊髄小脳変性症ですか?」

亜也が聞く。驚く、水野や両親。

「先生、私の病気って、脊髄小脳変性症なんですか?」

「そうだよ」

「私、将来、将来、ゆうかちゃんのお父さんみたいになりますか?教えてください、先生」

「ずーと、先のことだけどね。なると思う」

泣き出す、亜也。

「亜也、今すぐどうこうとかいうことじゃなくて・・・」

亜也を支える潮香。

「一つ聞いてもいいですか?」

「いいよ」

「病気は、病気はどうして私を選んだの?」

病気はどうして私を選んだのだろう。

運命なんて言葉ではかたづけられないよ

(「1リットルの涙」より) 

私も、もし子供から「なんで、こんな病気になるかもしれない、とわかってたのに、私を生んだの!?」と言われたら、もう返す言葉がありません。

『1リットルの涙』の著者のお母さんがこのようにも書かれています。

この子は病気で苦しむために生まれてきたのだろうか、と。

いや違う、そんなはずはない。

だけど、このままだったら一生懸命に勉強や苦手な運動をしてきたことが何一つ役に立つことなく終わってしまう。どんなに無念で悔しいことだろう。

生まれてきてよかった、生きていてよかったと思える、自分の存在価値を見つけてやらなければ、亜也は生きる気力をなくしてしまう。

それは何か。何があるのだろうか。

家族や周囲の者がどんなに優しくしても、亜也を大切な娘だといっても、それで喜びや感謝の気持ちをもつことはできるが、生きる目的にはつながらない。

(幻冬舎文庫『いのちのハードル―「1リットルの涙」母の手記』木藤潮香 著)

私は苦しむために生まれてきたの?
何のために私を生んだの?

問う木藤さん自身も、お母さんも答えられず、「ゴメンね。。。」と、ただ流す涙が1リットル。。。

「人間の奥底には生きる意味を死に物狂いで知りたがる願望が激しく鳴り響いている」

とフランスの哲学者・アルベール・カミュはいいました。

どうしても、生きる意味を知りたい!
いや知らなかったら生きていけないのが人間です。

もし街を歩いていて「君は何のために生きているのか?」と突然聞かれたら、「そんなの考えなくても生きていけるよ」と答える人もあります。

たしかに生きてはいけるでしょう。

その人は幸福なのでも、不幸なのでもなく、おそらく目の前の事に「多忙」なのでしょう。

しかし、ショックな出来事にぶち当たった時、強烈に、「自分は何のためにここにいるんだ!?」と問わずにいられなくなります。

いつ、私たちの周りの家族が、そして自分自身が、このように問いをぶつけるか分からないのです。

そこで、皆さんにお尋ねしたいと思います。
この問いに、皆さんは、どう答えるか?

どんな人にも「生まれた意味」があった!と実感できる答えを示した偉人の言葉

不公平な世の中、なぜ自分は生まれてきたのか分からない、と悩む声は、今も昔も変わりません。

そんな中、たとえ、頭が良くても悪くても、どんな器量であっても、どんな障害をもって生まれても、どんな人にも共通してあなたの命には尊い価値があるのだよと訴えられた方が、あのブッダでした。

ブッダが4月8日に生まれられたのにちなんで、有名な「誕生偈」という偈文があります。天上天下 唯我独尊

「天上天下」とは「大宇宙ひろしといえども」ということです。

「唯我独尊」というのは今日、大変誤解されている仏教の言葉です。

普通、「あの人は唯我独尊的な人だ」と言った場合、自分だけが一番えらいと思っている傲慢な人という意味で使います。(若者言葉ではオレTUEEEと言うようです)

しかし、この言葉は四大聖人の1人に数えられるブッダの言葉ですので、ブッダが自分で、このような品のないことを言われるとは考えにくいです。

実はこの「唯我独尊」の「我」とは、お釈迦様個人のことではなく、「われわれ人間一人一人」のことを指されています。

「独尊」とは「自分一人尊い」という意味ではなく、「たった一つの尊い使命」ということです。

ですから「天上天下 唯我独尊」の本当の意味は、天上・天下広しといえども、われわれ人間にしか果たせない、たった一つの尊い目的があって、生まれてきたのである

ということです。

では、人であるなら、どんな人であっても共通に果たせる大切な目的とはなんなのか?

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