前回に引き続き、いろは歌から学んでいきたいと思います。

我が世誰ぞ常ならん

平安時代の貴族、藤原道長(966~1027)が

この世をばわが世とぞ思う
望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば

と詠んでいます。

自分の娘を皇族に嫁がせて、当時の権力で確固たる地位を築いた藤原道長であっても、長くは保つことはできず、晩年は病に苦しみ、出家をしています。

どんな地位を得ても、トップで居続けることはできません。

スポーツの世界で活躍しても、ずっと最前線では戦えません。

日本人で世界的に有名なプロスポーツ選手と言えば、イチロー選手です。

10年連続200本安打や、優れた守備を認められた選手に送られるゴールデングロブ賞も10年連続受賞と、野球界に名を残す素晴らしい活躍をしていました。

そんなイチロー選手も2019年に引退をしました。

手に入れた幸せを維持するという観点で見てみると、日々、感じている幸せも、なかなか続かないのが現実ではないでしょうか。

大学合格の喜びも、内定を得た喜びも、仕事が評価された喜びも、大きなものではありますが、1週間も続きません。

トップになった人だけが、幸せが続かない訳ではないことがわかります。

そして、その後に、「有為の奥山今日越えて」と詠まれています。

有為」とは、有為転変のことで、どんなものも絶えず変化することです。

毎日、平和に暮らせることが幸せと思いますが、そんな日常も突然の病や事故で、何の前触れもなく変わります。

これを手に入れたら幸せになれる、あれができたら楽しい日々を送れると思って、一生懸命努力しても、つかの間の楽しみだけで、また、元のどこか不満が残る日常に戻ってしまう。

複雑な人間関係の悩みにさいなまれる、苦しみから離れ切れない様を、奥山に例えられています。

そんな苦しみ悩みの連続の人生を、「今日越えた」ということがあるのだといわれています。

これは、変わらない、本当の幸せになったということです。

そんな事を聞くと、そんな馬鹿な話があるものか、おとぎ話だ、おかしくなったのではないかと、色々な疑念を持つ人が多いため、「浅き夢見じ酔もせず」といわれています。

夢をみているのでもなければ、酔っ払っているのでもないのですよ、はっきりと本当の幸せになったということがあるのだと教えられています。

苦しみの絶えない人生と、厳しく私たちの人生を明らかにした上で、そんな人生の中にあって、本当の幸せがあるのだよ、そして、そういう幸せになれるのだよ、夢でもなければ、戯言でもない、はっきりするのだよと教えられているのが、このいろは歌です。

実はこのいろは歌は、仏教の教えをわかりやすい歌にされたものなのです。

ですから、仏教を学べば、苦しい人生を明るくできますので、ぜひ、仏教を学んで頂きたいと思います。

では、その仏教で教えられている本当の幸せとは何か、続けて学んで頂きたいと思います。

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