仏教Q&A 11回目


【もし人生が見渡す限り水平線の海だとしたら?】

こんにちは。
「OBA」のまさみです。

 

「生きることが大切だ」

「生きてほしい。かけがえのない命を」

とよく言われます。

美しい言葉、とされています。

しかし人生を深く見つめた人ならば、この言葉に、なぜ生きることが大切なのか、なぜ命はかけがえのないものなのか疑問を持ってしまったはずです。

この悩みにぶつかり、その壁を越えた人が心から発する

「生きることが大切だ」

「生きてほしい。かけがえのない命を」という

メッセージなら、芯から強く、自信に満ちた響きがあります。

日本中にそんな強い言葉をかけられる人が増えていったら自殺、殺人、虐待、暴力などの諸問題の解決にも大きな前進ができ、住みやすい社会になるはずだと思います。

今日はそんな観点から考えていただきたい内容です。

 

●どこへ向かって泳ぐのか?

あなたは海水浴はお好きですか。

「好きです!」

と答えられる方が思い浮かべる海のイメージは、白い砂浜にビーチパラソル、水平線の向こうに入道雲が見え、水着姿の人たちが浜辺で寝そべっている、沖にはブイが見えていて遊泳区域が決まっておりサメも来なければ、突然の嵐もない安全なところ、といったものでしょう。

そういうところで泳ぐのが海水浴です。こんなイメージです。

もし360度水平線、見渡す限り空と海しか見えないところに一人おっぽり出されたらそれでも海水浴を楽しめる人がどこにいるでしょうか。

こんなところです。

いくら海で泳ぐのが好きだといっても見渡す限りの大海原、どこどこまでも続く水平線に向かって泳ぎたい人がどこにありましょう。

泳いでいるうちに嵐になるかもしれない。

この深い海の下にはサメもいる、クジラもいる、いつ襲われるかわからない。

たとえそういう事態がなく穏やかな波の日が続いたとしても、体力に限りがあるのですから、やがては力尽き、溺死するしかありません。

こんな状況でも、海で泳ぐのが好きだという人はありえません。

それはもはや「海水浴」ではなく、「遭難」だからです。

仏教で説かれる「難度海」は海水浴場の海ではなく、水平線しか見えない海なのです。

 

●みな泳ぎ方には一生懸命だが……

生まれたと同時に私たちは難度海の真ん中に放り出され、ただ泳げと命じられ、次々とやってくる波にバタバタと対処しています。

地震、台風、噴火などの自然災害で命を落とさないようにするために対策を講じるのは災害の波を乗り越えて泳ぐ方法です。

上司への対応、部下へのマネジメント、家族間での心得などコーチングや心理学などで諭すノウハウは人間関係の波を乗り越えて泳ぐ方法です。

メタボにならないよう、ガンにこの食べ物は悪い、など健康管理の情報は、病気という波の乗り越える泳ぎ方です。

みな泳ぎ方には懸命なのです。

泳ぎが下手だとおぼれてしまいますし、疲れてしまいますし、泳ぐのが嫌になってしまうのですから「どうやって泳げばいいか」懸命になるのは当然です。

極めて大事なことです。

政治も、経済も、医学も、科学も法律も、倫理も、芸術もみなどうやって人生の荒波を乗り越えて泳ぐかの泳ぎ方を研鑚しているといえましょう。

しかし泳ぎ方をどれだけ熟知したところで、それで遭難から助かったとは言えません。

見渡す限り水平線なのですから。

 

●「やっていける」ようになっても

よく親や周りからも

「そんなことじゃ、社会でやっていけないぞ」

とせかされます。

仕事についたり、資格を取って

「オレもやっと一人前にやってけるようになった」

と本人も言ってます。

「やっていける」「やっていけない」とは生活できる、生活できないということですが、「やっていける」ようになれば勝ち組、「やっていけない」ようだと負け組と言われどうしたら「やっていけるか」みんな、ここには一生懸命です。

しかし「やっていける」ようになったところで、いつまでやっていけるのか、といえばどうでしょう。

「やっていけなくなるまでやっていける」だけの話でないでしょうか。

泳げ、泳げ、頑張って泳げ、と連呼されるままに泳いではいますが、一向に水平線しか見えないとしたら結局泳げなくなるだけでないか。

ではなぜ泳ぎ続けるのでしょう。

なぜ生きなければならないのでしょう。

 

●人生で最も「おかしなこと」

なぜ生きる?

そんなこと考えなくていい、という人は、ちょうど泳ぐ方角を不問にして、泳ぎ方ばかり問題にしているのと同じです。

これは【おかしなこと】です。

みな、めいめいの方角に向かって泳いでいる。

どんなに疲れない泳ぎ方したところで、どんなに波を乗り越えるのが上手だって、やがてはおぼれていってしまう。

自分もそうなる。

それなのに、泳ぎ方しか問題にできないでいる。

あなたが今までの人生で、あるときはテレビで、あるときは本で、あるときは講演で「あーしたらいい」「こーした方がいい」と受けてこられたアドバイスはすべてこの世を生きていくため、なんとかやっていくためのアドバイスではなかったでしょうか。

「そうやって生き続けねばならないのは何のためか」

誰か一人でも教えてくれる人はあったでしょうか。

問題提起する人すらいなかった、だから考えもしなかった、という人も少なくないように思います。

これを【おかしなことだ!】とまじめに人生のすがたを見つめられ、その問いの答えを求められた方が、若き日のお釈迦さまでした。

そして35歳12月8日、ニレゼン川のほとり、菩提樹の下で、ついに仏のさとりを開かれ、「難度海を渡す救助の大船」あることを発見されました。

以来、80歳お亡くなりになるまで、「この船に乗りなさいよ」と人生の目的と方角を教えていかれました。

その釈迦45年の教えを「仏教」といいます。

その仏教を、誰よりも鮮明に伝えてくださったのが親鸞聖人なのです。

 

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