仏教Q&A 6回目


こんにちは。
「OBA」のまさみです。

 

皆さんに、仏教のお話をしていると、

「あなたは、なぜいろいろな宗派がある中で、浄土真宗の講師になろうと思ったのですか」

と時々、尋ねられます。

一口に仏教といっても、世の中にはいろいろあるのはご承知のとおりです。

日本だけでも、浄土宗もあれば、天台宗や真言宗、禅宗や華厳宗など、いろいろの宗派がありますし、世界に目を向ければ、台湾やスリランカ、チベットなどの国々の仏教もあります。

その中で、なぜあなたは浄土真宗なんですか、という疑問を持たれるのは、ごもっともな話です。

●なぜ、浄土真宗の講師になったのか?

その疑問に対する私の答えは明快です。

『浄土真宗の親鸞聖人ほど、

生きる目的があることを

鮮明にされた方はない』からです。

仏教を伝える僧侶はたくさんいますが、伝えている内容は「怒らない方法」だったり「とらわれを解き放つ道」だったり、いわゆる処世術や人間関係のストレスを軽減する方法です。

生きていれば、ぶつかり合ったり、ねたんだり、落ち込んだり、いろいろあります。

それらの苦しみをどうしたら軽減できるか、乗り越えられるか、これもみんなとても知りたいことでしょう。

しかし、ああしたら、こうすれば、と苦しみを乗り越え、何とか生き続けているのは、いったい何のためなのでしょうか?

どう生きても、面倒なことは避けられません。

それらを乗り越え、生きていくのは何のためか。

親鸞聖人の生涯は、そこ一つに焦点を当て、しかも

「人間には素晴らしいかけがえのない、生きる目的があるんだよ」

と力強く宣言されているのです。

だからなのでしょう。

生きる意味を模索する哲学者や文学者は

「親鸞の思想には何かある」

「親鸞が知りたい」

と探求を重ねてきたのです。

ここで20世紀を代表するドイツの哲学者ハイデガーの『老後の日記』の一文を紹介いたしましょう。

「今日、英訳を通じて、始めて、東洋の聖者親鸞を知った。

若し10年前にこんな素晴しい聖者が東洋にあったのを知ったなら、私はギリシヤ語や、ラテン語の勉強もしなかった。

日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界中に弘めることを、生き甲斐にしたであろう。

だが、おそかった」

と記しています。

ここで驚くべきことには

「私はギリシヤ語や、ラテン語の勉強もしなかった」

の一節ではないでしょうか。

「ギリシヤ語や、ラテン語の勉強もしなかった」とは、言い方変えれば

「西洋哲学を学ばなくてもよかった」と

あのハイデガーが言っているのです。

プラトン以来2000年、西洋哲学の文献の多くはギリシャ語やラテン語で書かれており、この語学が習得できていない者は「お話にならない」のが西洋哲学の分野です。

ハイデガーといえば、西洋哲学の分野で偉大な功績を残し、歴史に名を刻む哲学界の巨人ですが、その歴史的業績をすべて捨ててでもいいから、親鸞を学びたい、というのですから、これは事件です。

ちょうどイチローが

「こんなスポーツがあるなら、野球をやらなくてもよかった」

と言っているようなもので、ハイデガーを知る人にとって衝撃的な言葉です。

ハイデガーは哲学者として「生きる意義」「真の幸福」を思索してきた人ですから、親鸞聖人の著述に触れ、

「これは違う。何かある」

と感じ取ったのだと思うのです。

ハイデガーが、あるいは司馬遼太郎や亀井勝一郎らが感じ取った「本当の幸福」を、

このあとのQ&Aでも、お示ししてまいりたいと思います。

●人生はつくづく出会い

少し余談になりますが、私が大学時代、講演会でお聞きして以来、もっと聞きたいとなり、やがては生涯の師とあおぐようになったのが高森顕徹先生です。

親鸞聖人という方は「生きる意味」「本当の幸福」一つを明らかにされた方だった、と私が知らされたのも、高森先生にお会いしたからでした。

今、こうして多くの方に仏教をお話ししているのもあの時友人に誘われ、講演会でお会いできたからです。

その謝念は年を重ねるごとに深さが増すばかりです。

自分の一番聞きたかったことを800年前、鎌倉時代の古、明らかにされていた方があったこと、そして現代の世にあって、私にも分かるように話してくださる方があったこと、それで私の人生は大変わりしてしまいました。

人生はつくづく出会いだと知らされます。

疑い深く、人に従うのが嫌な性格の自分ですが、聞けば聞くほど納得させられる話に魅了され、一生、仏教を学びたい、自分の大切な人にも届けたいと思うようになっていきました。

今読んでおられるあなたとの出会いもそうですし、まだこれから「生きる目的」を知りたくて悩んでいる人もインターネット時代が到来したことにより、

つながることができるのはありがたいことです。

 

『1本のろうそくは何千本ものろうそくに火を灯すことができる。 幸福も分かち合うことで減ることはない』(ブッダ)

 

そんな灯の1つになれたら理想です。

そうありたいな、とずっと思ってます。

あなたもまず自らの心に明るい灯をともすこと、そしてあなたの大切な人にその灯を分かち合うことができる、すてきな人生を送れるよう、その一助になれば有り難く思います。

今日は「なぜあなたは親鸞なのか」の問いに「親鸞聖人ほど生きる目的があることとその達成を勧められた方はないからだ」とお話ししましたが、もう一つ、私が「親鸞聖人の教えでなければならない」と思った理由を、次回、お話ししたいと思います。

 

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