仏教Q&A 8回目


こんにちは。
「OBA」のまさみです。

 

今日のテーマは、非常に重い内容ですが、浄土真宗では、どう教えられるのでしょうか。

親鸞聖人のお言葉で学びたいと思います。

●幸せになっちゃいけない人は誰もいない

「私が生まれてこなければ誰にも迷惑をかけることなかったのに」

「生まれてきてごめん。こんなの親が聞いたら悲しむよね」

こんな胸の詰まるようなメールが時々、私にも届きます。

こんな時はどう返信していいか、あれこれ考えて時間が経ってしまいます。

あなたも大事な人から、そのような言葉を聞き、戸惑われた経験があるかもしれません。

以下に紹介するのは連続通り魔事件の犯人の弟さんの遺した言葉です。

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。

加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。

それが現実。

僕は生きることを諦めようと決めました。

死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。

どう考えても浮かばない。何かありますか。

あるなら教えてください」

この1週間後、彼は自ら命を断ちました。

兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とし、就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければなりませんでした。

一時は受け入れてくれた恋人も家族や友人の反対で別れることになり、絶望を深めていった中での決断でした。

「あるなら教えてください」という彼に親鸞という方があるんですよ、と伝えたかったです。

親鸞聖人は、幸せになっちゃいけない人なんか誰もいない、たとえ死刑囚でも、世界中の人から「お前は死んだ方がいい」と言われても、生きなければならない理由があるんだよ、そんな人が本当の幸せになれるんだよ、と生涯教えられた方だからです。

●縁さえくれば、どんなことでもする親鸞だ

親鸞聖人はご自分のことを

 

「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、いかなる振舞いもすべし」(歎異抄)
(縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもする親鸞だ)

と告白されています。

これは親鸞聖人一個人だけのことでしょうか。

先日、パソコンでニュースを読んでいるとトピック欄に

<長女を風呂に沈めて殺害しようとした母親逮捕>

とあったので、私の想像としては、3歳くらいの自分の子供を力づくで湯船に沈めて水死させようとしたのかな、とイメージし、酷いよな〜と思い、クリックしてみると殺害しようとしたのは

生後10か月のあかちゃん。

殺人未遂容疑で逮捕されたのは27歳の女性でした。

こんな内容でした。

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自宅浴槽(水深約40センチ)に長女を投げ入れ、殺害しようとした疑い。

「育児ノイローゼでまいっていた。子供が部屋を汚したのにカッとなった」と話している。

寝室にいた夫(42)が「ドボン」という音を聞いて風呂場に行き、服を着たままうつぶせで浮いている長女をすくい上げ、110番した。

長女は無事だった。

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容疑者は児童相談所に育児の相談をしたこともあったそうです。

子供に八つ当たりしてしまう自分に対して責める気持ちもあったでしょうし、相当深刻に悩んでいたことでしょう。

ノイローゼ、ヒステリーになると、平素やらないことでもしてしまうのが人間です。

殺害しようという確固たる意思があったかも分かりません。

しかしニュースには、

<長女を風呂に沈めて殺害しようとした母親>

と出る、れっきとした我が子殺しの殺人未遂です。

本名も出てましたので、親や恩師、職場の友人、過去の級友など、日本中の人たちが知るところになります。

そしてグーグルの検索には、永久に表示され続けるのです。

こんな事件に、テレビのワイドショーもマスコミも

「考えられないこと」

「酷いね、人間じゃないね」

と大合唱の非難となりますが、それらの声を聞いていると

「そんな可能性ゼロの無謬(むびゅう)人間が存在するのだろうか」

と危うく思われてきます。

心理学者ユングは

「疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁(きょかい)なのだ」

と言っています。

「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(歎異抄)

「あのようなことだけは絶対しないと、言い切れない親鸞である」

親鸞聖人の告白どおり、いかなる振る舞いもする、巨悪をひそませる潜在的残虐者が「私」といえるのではないでしょうか。

そして、そんな者だからこそ、なお愛おしいと慈悲をかけたまうのが仏心(ぶっしん)であり、そんな者こそが、仏教の説く「本当の幸福」の正客なのです。

 

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