仏教Q&A 9回目


【親鸞聖人の教えがおさまる『教行信証』の冒頭1行とは?】

 

こんにちは。
「OBA」のまさみです。

 

「すべての本を読み終えなくてもよい」

イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは、生前そのように言っています。

そのあとの言葉はこう続きます。

「味見のための本があり、丸呑みするための本もある。

そしてごく少数の本だけが、かみしめ、消化するためにある。

つまり、一部だけを読めばいい本があり、好奇心をもって読まなくてもいい本がある。

そして、ごく限られた本が、努力と注意をはらいながら、最後まで読む価値がある」

私にとって生涯かけて読み切りたいと思っているのが『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』です。

20年以上、『教行信証』を読んできましたが「こんなことまで……」と毎年いくつも感動があり、どこどこまでも深い内容に関心が尽きることはありません。

親鸞聖人には数多い著作がありますが、その中でも「主著」と言われるのはこの『教行信証』6巻です。

『教行信証』6巻に親鸞聖人の教えのすべてがおさまっています。

『教行信証』に書かれていない親鸞聖人の教えはありません。

『教行信証』に「この身になるための人生だったのか」と感謝があふれる「絶対の幸福」あることがはっきり示されており、多くの思想家、哲学者を引きつけてやみません。

例えば哲学者・田辺元は、

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私は『教行信証』の宗教哲学をもって、西洋に匹儔(相手)を見出だすこと困難なるごとき深さを持つものと思惟せざるを得ないのである。

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と記しています。

また、俳優の三國連太郎さんが言っていることに、私も共感します。

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私が一番感動するのは、『教行信証』の冒頭の言葉です。

親鸞のすべてが、冒頭の10行か20行に尽くされているような気がするんです。

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『教行信証』は親鸞聖人がご自身の思想の全てを書き残された6巻の大部の書ですが、それは冒頭の10〜20行に尽されている、とは、まさに慧眼です。

ふつうは『教行信証』を専門に深く学んでいった人が、10年以上かけて、そのように知らされていくことですから、この三國さんの言葉には、舌を巻いてしまいました。

知る人ぞ知る、この『教行信証』の冒頭こそ、親鸞聖人が、

「絶対の幸福のあること」と

「その幸せになれること」を

はっきりと示されているところなのです。

心落ち着かせて読んでみてください。

 

「難思の弘誓(なんしのぐぜい)は、難度の海(なんどのうみ)を度(ど)する大船(たいせん)」(教行信証)

 

●親鸞聖人の教えはこの1行におさまる

この1行こそ、人間に生まれてきた目的を示されたものです。

たった1行に集約されています。

私は誰かと食事する時、例えばその人がクリスチャンだった場合は

「キリスト教って、一言でいうとどんな教えなんですか?」

と聞いたりします。

あるいはアリストテレスを大学で学んだと聞けば、

「アリストテレスって、一言でいうと、どんなこと教えた人ですか?」

と聞きます。

この“一言で”という言葉で、本質が鮮明になってきます。

こんな時、リクエスト通りに一言で答えてくれる人がいれば、その人は、そのことに相当、造詣の深い人だと分かります。

自信がないと一言でまとめられませんので。

「一言でと言われても、とても一言では……。

深い内容ですし、またいつか時間がありましたら……」

と言われたら、言いたくないのか、自分自身がよく咀嚼できていないか、いずれかでしょう。

さて、浄土真宗には何が教えられているのか、一言で言ってくださいと尋ねたら、親鸞聖人はどう答えられるのでしょうか。

親鸞聖人はズバリ、

「苦しみの波の絶えない人生の海を、乗せて「絶対の幸福」に救いとり、必ず浄土へ渡す、“大きな船”が教えられてるんですよ」

と断言されています。

「仏教という教えはね、例えるなら、大きな船なんだよ」

と親鸞聖人は車座に囲まれて、村人たちに親しくお話しされていたのでしょう。

「釈迦は救助の大船一つを教えられた方ですよ。

早くこの大船に乗せていただきましょうね」

と、ひとえに勧められたのが親鸞聖人です。

 

●なぜ人生を海に例えられたのか?

親鸞聖人が教えられた「なぜ生きる」の答えは、『難度の海を度する大船』というこの短い一節に凝縮されています。

親鸞聖人は、人生のことを海に例えて

「難度の海(なんどのうみ)」

と言われています。

なぜ人生を海に例えられたのでしょうか。

海ですから、必ず『波』があります。

波一つない鏡のような湖水、ということもありましょうが、海はどんな無風でも波はあります。

この『波』とは人生の何を指すのでしょうか。

そして海は広い。

池や湖に、どこどこまでも続く水平線というのはありません。

360度どこを見渡しても『水平線』しか見えない広さは海だけです。

これは何を意味するのでしょう。

そして海には丸太や板切れなどの浮遊物が浮いています。

この『浮遊物』とは何を表現したものか。

そして『大船に乗る』とは何を表しているのか。

『波』
『水平線』
『浮遊物』
『大船に乗る』

これらを1つ1つ鮮明にして、人生に変わらぬ安心、満足があることを次回から、お話ししたいと思います。

 

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