しあわせのみちしるべ 2回目


(前回まで)

生きてる意味が分からない悩みを、職場の後輩君に話すと、後輩君は自分も同じだと語り、ユウ子を、仏教の勉強会に誘ってくれた。

 

  • 人は何のために生きているのでしょう

 

ホテルのラウンジのように広々としたオープンスペースのテーブルを囲んで、勉強会が始まった。

話をするのは、いわゆるお坊さんかと思っていたら、スーツに身を包んだセミナー講師がやってきて、ユウ子はちょっとびっくりした。

が、すぐにその話に吸い込まれていた。

「人は何のために生まれ、生きているのでしょう。

なぜ、苦しくても自殺してはならないのか。

すべての人にとって、これほど知りたいことはないでしょう。

生きるということは、歩くことや走ること、泳ぐことや、飛行機でいえば飛ぶことと同じです。

毎日が飛ぶように過ぎていきます。

この間年が明けたと思ったら、もう4月。

私たちは、昨日から今日、今日から明日へと、ものすごいスピードで進んでいます。

では一体、どこへ向かってでしょうか。


とんちで有名な一休さんは、

「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」

と歌っています。

 

冥土とは死後の世界のこと。

1日生きたということは、1日死に近づいたということですから、人生は、死へ向かっての行進であり、「冥土への旅」といえるでしょう。

年が明けると皆「おめでとう」「おめでとう」と言いますが、1年たったということは、それだけ大きく死に近づいたということです。

元旦は冥土の旅の一里塚に違いありません。

私たちは、去年から今年、今年から来年へと、どんどん歩き、走り、泳ぎ、飛んでいるのです。

 

だれでも、歩く時も、走る時も、いちばん大事なのは「目的地」です。

目的なしに歩いたら、歩き倒れあるのみだからです。

ゴールなしに走り続けるランナーは、走り倒れあるのみです。

行く先を知らずに飛んでいる飛行機は、墜落あるのみです。

 

「あそこがゴールだ」と、ハッキリしていてこそ、頑張って走ることができます。

「あの島まで泳ごう」と、目的地に泳ぎ着いてはじめて、「ここまで泳いできてよかった」と、一生懸命泳いできた満足があるのです。

 

では、私たちの生きる目的は何でしょうか。

目的を知らずに生きるのは、死ぬために生きるようなもの。

死を待つだけの生ならば、苦しむための一生に終わるでしょう。

私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。

生きているのでもありません。

 

人生の目的を知り、達成し、「人間に生まれてよかった!」と、心からの満足を得るために生きているのではありませんか。

その最も大切な「生きる目的」の答えをハッキリと示されたのが、約800年前、鎌倉時代の親鸞(しんらん)という人です」

 

講師の話は、ストレートに核心に迫っていく。

(つづく)

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