しあわせの法則 3回目


(前回まで)

真面目に働いているのに、ゆず葉が、友人のカリンから聞いたブッダの説かれた『運命の仕組み』とは―?

 

「それでね、お釈迦様が『因』といわれているのは、私たちの『行い』のこと。

『果』は『運命』のことだから、『善い行いは、善い運命(幸福)、悪い行いは、悪い運命(不幸)を生み出す。

 善いことをして、悪い運命が引き起こることもなければ、悪いことをして善い運命が現れることもない。

 善いも悪いも、自分に現れる運命のすべては自分の行いが生み出したものであり、それに万に一つも例外はない』

 というのが、ブッダの説かれた因果の道理なのよ。まあ、言葉は知らなくても実際、ゆず葉も、因果の道理を信じて生活しているでしょ?」


「うーん、確かにね。
でもさ、他人のせいで自分が苦しむこともあるんじゃない?」

 

 ゆず葉が疑問を投げかけた。


「もっともな疑問よね。
世の中には、一見すると、自因自果とは思えないことがよくあるし。
 例えば、まじめで働き者の奥さんが、仕事もせず酒やギャンブルに明け暮れる夫と生活して、苦しんでいると聞けば、夫のせいで苦しんでいる他因自果じゃない?と思うでしょ?」


「思う」


「でも、この場合でも、奥さんの
まいた種には違いないの」


「えー、なんで?」


「世の中にそんなひどい男がいても、
この男のために苦しんでいない女性がほとんどでしょ?
 なぜ、この奥さんだけが苦しむことになったのか、もとをたどればそれはこの奥さんが、この男と結婚したから。

 もし夫婦にならなければ、今の苦しみも、現れなかったはず。

 ほかにも男性はたくさんいたのに、どうして、よりによってその男を夫に選んだのか。

 それは奥さん自身の行いだから、やはり自因自果であることには違いない」


「それは……そうだけど、じゃあ、
夫は悪くないの?無関係なの?」


「もちろん、そうじゃないよ。

 ちょっと説明が後回しになったけど、この場合の夫は、仏教で『縁』といわれるものなのよ」


「えん?丸い円?」


「そっちじゃなくて縁結びの縁ね。

 因果の道理は、正確には、『因縁果(いんねんか)の道理』というの」


「よく因縁の対決とかいう因縁?」

「そうそう、それそれ。
 この因と縁の関係が分かると、ほんとに運命の仕組みが、すっきりするから!

 お米を例に説明するとね、米はモミ種から作られるから、米の因はモミ種だよね?

 でも、幾らモミ種があっても、畳の上にまいてたら芽は出ない。

 モミ種が、米になるためには、土や水、日光、空気、肥料などの助けが必要だよね。

 そのように、因が結果になるのを助けるものを、仏教で『縁』っていうの」


「カリンの話、分かりやすいね~。
今はじめて『縁』の正しい意味を知ったよ」


「いやまあ、私も勉強したことの
請け売りだけどね。

 それで、まかぬ種は生えないんだけど、因だけでは結果は生じなくて、すべての運命は因と縁がそろって、初めて現れる、というのが、仏教の『因縁果の道理』なのよ」


「うーん。ということは夫は悪い縁で、
そんな人と結婚した奥さんの行いが因で、その因と縁がくっついたから、大変なことになっちゃったってことか」


「ビンゴ!もちろん、だから飲んだくれ
の夫という悪~い縁には、しかるべき対応をして少しでも改めてもらうよう努めるのが大切なのは言うまでもないけど、あくまでも、相手は縁であって、運命を生み出す因は、過去の自分の行い(種まき)にある。

 どんなときも自因自果に例外はないということね。
 そして、この事実を認めるところに、幸せな未来への扉が開かれると、お釈迦様は教えられているのよ」


「原因はつねに自分にあるのか……」


(もしかしたら同僚に嫌われているのも、
自分に原因があるのかもしれない)

 という考えが、ゆず葉の頭をかすめた。

 

(つづく)

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