しあわせの法則 4回目



(前回まで)

 自分の受ける運命のすべては自分の行いが生み出したものであると、聞いたゆず葉。

 

「私たちは、思わぬお金が儲かったり、人から褒められたり、善い運命が訪れた時は、

『そうそう、私が頑張ったから』

 と因果の道理を素直に認めることができるけど、不幸な目に遭ったら、

『こんな目に遭ったのはアイツのせい』

 と周囲を恨んだり、のろったりする心しかでてこないでしょ。

 ことわざにも『ナワをうらむ泥棒』と、昔から教えられているわ」


「ナワをうらむ泥棒?」


「うん。

 御用となった泥棒が、ナワで縛られ苦しんでいる。
彼は

 “オレを苦しめているのはこのナワだ”

 と考え、うらんでいる。

 そんな考えは、愚かで滑稽だと、だれでも思うでしょ。

 だって、泥棒を苦しめているのは、彼自身の犯した悪事にほかならないから。

 でも目先のことしか分からない泥棒は、自分を苦しめているのはナワだと思い、過去に犯した自分の行いの結果だとは、夢にも気づかない。

 世の中に、どれだけナワがあっても、自分が縛られるような悪事を働かねば、ナワで苦しまなくてよかったのに、おかど違いのものをうらんでることを笑ったのが『ナワをうらむ泥棒』さん。

 でもこの泥棒を笑える人はないのよね~。

『あの時、あの人があんなこと言ったから、私はこんなふうに苦しんでいるんだ』

『結婚相手がこんな人だからつらいんだ』

 と、みんな相手をのろい、憎んでるから。

 でもナワを恨んで腹を立ててるだけでは、幸せはやってこないよ、とお釈迦様は、教えられているの。

 現在受けている一切の運命は、自分がかつて創造したものであり、未来の運命は、これからの自分が創造していくものだというところに、心が立ったとき、何かが変わり始めるよ」


カリンの話は、なんだかすごく深いことを
言っているように感じたが、ゆず葉は、まだ引っかかっている疑問を口にしてみた。

 

「でも、カリン、正直者はバカを見るっていうし、一生懸命努力しても、報われないこともあるんじゃない?」

 

「うん。お釈迦様はその疑問にね、

『まいた種は必ず生えるが、生えてくる時期には前後がある』

 って答えられてるよ」

 

「ん? どういうこと?」

 

「つまりね、短いスパンで見れば、種をまいても結果が現れなかった(正直者がバカをみた、努力が報われなかった)ように見えても、それはまだ縁がそろってないだけで、種が消えたわけじゃないってこと。

 実は仏教では、私たちの行いは、目に見えない力(業力=ごうりき)となって残り、結果を現すまで消えないと教えられているの。

『業力不滅(ごうりきふめつ)』って言うんだけどね。

 だから、長いスパンで見れば、遅い早いの違いはあっても、縁がくれば、必ず善因は善果を、悪因は悪果を、生み出すことに例外はないと教えられるのよ。

 よく過去の不正会計処理や談合が発覚して当時の経営トップが告発されることがあるでしょ?

 原因は厳しく結果を開く。

 他人が見ているとか、いないとかは、因果の法則には関係ないから、善いことをして損することも、悪いことをして得することも絶対ないと教えられるのよ。

 一生懸命善いタネをまいているのに結果が現れないときは、むしろ貯金していると思えばいい。

 あとで、利子がついて、どーんと大きな結果が返ってくるんだから、余計に楽しみじゃない?」


「なるほど、貯金かあ~」


「さらに、まいた種の生え方にも、
2とおりあると教えられてるのよ。

 

(つづく)

 

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