いろは歌を全文、聞かれたことはありますでしょうか。
あのいろは歌の中には、大変深いメッセージが刻まれております。

自分に自信をつけるにはどうしたらいいのか、3日目はこのいろは歌を通して、お話していきたいと思います。

このいろは歌は、昔は、文字を覚える時に、よく使われており、今でも、何かの基本という意味で、〇〇のイロハとも使われます。そんないろは歌ですが、ひらがなをすべて1回だけ使い、意味のある文章になっているというとても真似のできないものですが、そんないろは歌の意味が、実は、私達の人生において、大切なことが書かれてあります。
作者は諸説ありますが、僧侶が書いたと言われています。なぜならば、内容がブッダの教えだからです。

日本一有名な文豪と言っても過言ではない芥川龍之介は、

我々の生活に欠くべからざる思想は、あるいは『いろは』短歌に尽きているかも知れない。『侏儒の言葉』

と書き残しています。

これは、「人生における必要不可欠なものは、『いろは短歌』に余す所なく教えられている」ということです。

そんないろは歌が、

色は匂えど 散りぬるを 
わが世誰ぞ 常ならむ 
有為の奥山 今日越えて 
浅き夢見じ 酔いもせず ※漢字に変換したものです。

です。

最初は「色は匂えど 散りぬるを」です。
色というのは、これは、のことです。満開に咲く桜が、春の香りを放っていても、「散りぬるを」。やがて必ず散っていくということです。

桜は、昔から、儚いものの代名詞として、よく使われています。
「三日見ぬ間の桜」、「散る桜 残る桜も 散る桜」など。
これは、ブッダの言葉の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を教えられた一行です。
諸行とは、すべてのもの、無常とは、続かないということです。
どんなものでも、永遠に続くということはありません。

スマホ一つ取っても、どんなに大切に使っていても、落として壊れたり、電源が点かなくなったり、データが消えたりします。おしどり夫婦と言われていた人たちも、あることをキッカケに、不仲になって、離婚することは芸能界を見ていてもよく目にします。形あるものから、心に至るまで、あらゆるものが、変化していきます。

次の「わが世誰ぞ 常ならむ」とは、栄枯盛衰、盛者必衰とも言われます様に、どんな栄華も永くは続きません。
コロナ禍になり、今まではトップを走り続けてきた企業でも、経営が難しくなったところも少なくありません。また、スポーツ界でも、体力の衰えや、新星の台頭によって、ランクが下がってしまい、全盛期の時の成績を残すことができなくなります。そんな、いつ今の状態をおびやかされるかわからない、不安の世の中を、最初の二行で教えられています。

コロナ禍の今は、深く噛み締めずにはおれないのではないでしょうか。

そんな中、「有為の奥山 今日越えて」と続けられています。有為の奥山とは、苦しみの連続の人生を山に例えられて言われています。そんな人生の山登りの中で、今日越えたということがあると詠まれています。これは、変わらない幸せになったということです。

しかもそれは、「浅き夢見じ 酔いもせず」と釘を刺されています。夢を見ているのでもなければ、酔っ払っている、妄想ではないという断言です。

信じられない様な言葉ですが、諸行無常、栄枯盛衰という、目を覆いたくなる様な厳しい真理を述べられた上で、変わらない幸せになったと教えられています。この幸せを手にしたならば、私はこの為に、生きてきたのだと、心からの喜び、そして、安心を手にすることができます。

そういう幸せになるまでは、安心が手に入らないのかといえば、そうではありません。
丁度、原因不明の病で苦しんでいることを思い浮かべてください。
どれだけ検査を受けても、病気の原因が分からないとならば、不安になります。
そんな状態で、その病の治療法があることを知ったら、どうでしょう?
まだ、病が治っていなくても、治せるということがわかるだけでも、安心できます
真の安心は、病が治ってからですが、それでも、病が治る前にも大きな安心を手に入れられます。

そんな幸せをどうすれば、手に入れることができるのか。その道も、教えられていますので、ぜひ、ブッダの教えを学んで頂きたいと思います。

記事や動画だけでは、なかなかお伝えしきれない部分が多くありますので、もっと知りたい、ここをもう少し詳しく知りたいという方は、ぜひ、お試しパーソナルレッスンをお申し込み頂けたらと思います。

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